五月になったら早速と思っていたのに、UPが出来ず今頃です。
好きな禅語の一つ。
「三級浪高魚化龍」
“さんきゅう なみたかくして うおりゅうとかす”と詠みます。
三段の急流を乗り越えた鯉は、最後の滝を登りきったとき
龍となって空に上っていく、という意味です。
最後の滝にかかる門があり、それを「登竜門」と言います。
よく言う“登竜門”とはここからきています。
端午の節句には、男の子の出世を願い掛ける事が多いのですが
そのほかにも旅立ちのときとか免状をもらったときとか
これからの躍進・飛躍を願うとき掛ける事が出来ます。
「たくさん持てないから・・」と、
季節のない軸を希望する方が多いのですが
たくさん持てないなら、使い幅の多い軸を求められたほうが
テーマにあわせ易く、かえって使いやすいと思います。

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好きな禅語の一つ。
「三級浪高魚化龍」

“さんきゅう なみたかくして うおりゅうとかす”と詠みます。
三段の急流を乗り越えた鯉は、最後の滝を登りきったとき
龍となって空に上っていく、という意味です。
最後の滝にかかる門があり、それを「登竜門」と言います。
よく言う“登竜門”とはここからきています。
端午の節句には、男の子の出世を願い掛ける事が多いのですが
そのほかにも旅立ちのときとか免状をもらったときとか
これからの躍進・飛躍を願うとき掛ける事が出来ます。
「たくさん持てないから・・」と、
季節のない軸を希望する方が多いのですが
たくさん持てないなら、使い幅の多い軸を求められたほうが
テーマにあわせ易く、かえって使いやすいと思います。

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みゃあくんのおかあしゃん いつも良い勉強をさせていただきます。
数を持たない場合は 季節のない軸の方が 良いと私も思っていました。
岡野園さんのようなお店が近くに欲しいと
心から思います。
ちょきたら わたしもお勉強させていただきました。
「登竜門」の由来はそうだったのですね。
数多く持てないと季節感がないものが・・・とお軸だけではなく、他のものも
そう考えがちです。その句や絵が持つ背景や意味を膨らませていけば、幅がひろがるんですね。
葉摘み みゃあくんのおかあしゃんさま
身に過ぎる勿体ないお言葉でございます。
はっきりとした字が(たとえば春とか秋とか)入っていなければ
禅語はほとんどが無季なんです。
教えにシーズンは無いからねぇ~
字の印象から(たとえば流水とか山影とか)季節を我々が勝手に決めて
その季節ばかり使うので、いつの間にかみんなが季節ありの印象を持つようです。
禅語が言わんとしていることはもっと深いところなのにね。
葉摘み ちょきたらさま
>その句や絵が持つ背景や意味を膨らませていけば、幅がひろがるんですね。
すばらしい!!
その通りなんです。
ワンパターンな使い方だけでは出番が限られ勿体ないわ。
終わったばかりの端午の節句に使った兜や鍔・弓の絵柄道具なんかは
時代祭とか流鏑馬と言うテーマにすれば使えます。
どれだけ頭を柔軟にするかがポイントね。
この記事へのコメント
いつも良い勉強をさせていただきます。
数を持たない場合は 季節のない軸の方が 良いと私も思っていました。
岡野園さんのようなお店が近くに欲しいと
心から思います。
数を持たない場合は 季節のない軸の方が 良いと私も思っていました。
岡野園さんのようなお店が近くに欲しいと
心から思います。
2010/05/07(Fri) 00:02 | URL | みゃあくんのおかあしゃん #-[ 編集]
わたしもお勉強させていただきました。
「登竜門」の由来はそうだったのですね。
数多く持てないと季節感がないものが・・・とお軸だけではなく、他のものも
そう考えがちです。その句や絵が持つ背景や意味を膨らませていけば、幅がひろがるんですね。
「登竜門」の由来はそうだったのですね。
数多く持てないと季節感がないものが・・・とお軸だけではなく、他のものも
そう考えがちです。その句や絵が持つ背景や意味を膨らませていけば、幅がひろがるんですね。
2010/05/07(Fri) 01:37 | URL | ちょきたら #-[ 編集]
みゃあくんのおかあしゃんさま
身に過ぎる勿体ないお言葉でございます。
はっきりとした字が(たとえば春とか秋とか)入っていなければ
禅語はほとんどが無季なんです。
教えにシーズンは無いからねぇ~
字の印象から(たとえば流水とか山影とか)季節を我々が勝手に決めて
その季節ばかり使うので、いつの間にかみんなが季節ありの印象を持つようです。
禅語が言わんとしていることはもっと深いところなのにね。
身に過ぎる勿体ないお言葉でございます。
はっきりとした字が(たとえば春とか秋とか)入っていなければ
禅語はほとんどが無季なんです。
教えにシーズンは無いからねぇ~
字の印象から(たとえば流水とか山影とか)季節を我々が勝手に決めて
その季節ばかり使うので、いつの間にかみんなが季節ありの印象を持つようです。
禅語が言わんとしていることはもっと深いところなのにね。
2010/05/07(Fri) 17:43 | URL | 葉摘み #-[ 編集]
ちょきたらさま
>その句や絵が持つ背景や意味を膨らませていけば、幅がひろがるんですね。
すばらしい!!
その通りなんです。
ワンパターンな使い方だけでは出番が限られ勿体ないわ。
終わったばかりの端午の節句に使った兜や鍔・弓の絵柄道具なんかは
時代祭とか流鏑馬と言うテーマにすれば使えます。
どれだけ頭を柔軟にするかがポイントね。
>その句や絵が持つ背景や意味を膨らませていけば、幅がひろがるんですね。
すばらしい!!
その通りなんです。
ワンパターンな使い方だけでは出番が限られ勿体ないわ。
終わったばかりの端午の節句に使った兜や鍔・弓の絵柄道具なんかは
時代祭とか流鏑馬と言うテーマにすれば使えます。
どれだけ頭を柔軟にするかがポイントね。
2010/05/07(Fri) 18:48 | URL | 葉摘み #-[ 編集]
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