三月花見月になったというに、冷たい風に震えます。
明日の雛の節句には雪!という予報も。
気温の落差の激しさに翻弄される毎日です。
それでもカレンダーをめくったら、枝垂桜の京景色。
写真からの春告げに、しばし暖まりましょうか。

昨日はひさしぶりの長野先生を講師に迎えた勉強会。
身近な、でも理解不足であったところの講話があって、とても有意義でした。
「きれい」と「けばい」の差。
「しぶい・わびている」と「きたない」の差。
品格と品性の問題と見極める眼力。
日本独特の「ひえかれる」美学。
問いかけられることにより、自分の中で洗いなおします。
「アジアの芸道は型を持つ」という話も興味深い。
型から形になって姿になる。
さらにフィードバックして型に戻ったとき、意味が深くなっている。
茶の点前は、「型から入り」、「形に行かないと」、「姿にならない」
型としての茶は間違ってはいないが、雰囲気が無い。
目的に向かってアクションを起こしたとき、形に近づく。
美学となっていくと規範を持ってくる。
姿の世界に入ろうとしていく。
茶は分相応でやってはいけない。
分相応よりひとつだけ上を目指そうとする。
それを「一分(いちぶん)」という。
(「武士の一分」を例に) わかりやすい!
型でやっていると流儀のお茶の範囲。
形となるものを表現しようとする茶。
茶の何たるかに思い至り、精神性を踏まえた作為の茶。

聞くだけでなく、自分の今までの茶を見返り、心に問いかけ
とても深みのある勉強会でした。
応援ありがとうございます。
あなたの
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岡野園 FC2ショップのページ
明日の雛の節句には雪!という予報も。
気温の落差の激しさに翻弄される毎日です。
それでもカレンダーをめくったら、枝垂桜の京景色。
写真からの春告げに、しばし暖まりましょうか。

昨日はひさしぶりの長野先生を講師に迎えた勉強会。
身近な、でも理解不足であったところの講話があって、とても有意義でした。
「きれい」と「けばい」の差。
「しぶい・わびている」と「きたない」の差。
品格と品性の問題と見極める眼力。
日本独特の「ひえかれる」美学。
問いかけられることにより、自分の中で洗いなおします。
「アジアの芸道は型を持つ」という話も興味深い。
型から形になって姿になる。
さらにフィードバックして型に戻ったとき、意味が深くなっている。
茶の点前は、「型から入り」、「形に行かないと」、「姿にならない」
型としての茶は間違ってはいないが、雰囲気が無い。
目的に向かってアクションを起こしたとき、形に近づく。
美学となっていくと規範を持ってくる。
姿の世界に入ろうとしていく。
茶は分相応でやってはいけない。
分相応よりひとつだけ上を目指そうとする。
それを「一分(いちぶん)」という。
(「武士の一分」を例に) わかりやすい!
型でやっていると流儀のお茶の範囲。
形となるものを表現しようとする茶。
茶の何たるかに思い至り、精神性を踏まえた作為の茶。


聞くだけでなく、自分の今までの茶を見返り、心に問いかけ
とても深みのある勉強会でした。
応援ありがとうございます。
あなたの




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おはヨーございます
でん助 はっとさせてくださるお話の御裾分けに、心から感謝申し上げます。ボァーっと心にあるおもいに、「!」
ようこ 初めてコメントいたします。いつも興味深いお話、ありがとうございます。
茶道はまだまだ初心者です。茶道を始めたことが、なぜ日本文化は型から入るのだろう・・・?と考えるきっかけとなりました。「目的をもって・・・」の部分、はっとさせられました。型が目的化してはいけないんですね。いま、何をしようとしているのか、その心を忘れずに。考えさせられました。ありがとうございます。
ちょきたら 「茶は分相応でやってはいけない」に、はっ!
としました。「分相応でいい」と思っていたところが
あったからです。でもそれでは成長しないということ
なのでしょうか。
hiromi 今は亡き長沢節先生の言葉を思い出しました。
セツ先生は「品」をすごく大切にしていらっしゃいました。
「うまく見せよう」として作為的なのは下品
こころから感動して美しいと思って表現した絵は上品
先生ご自身、型破りな人生を過ごされましたが、たたずまいはいつも気品があったなあ。。
いろんなコトに通じるお話ですね~
お返事遅くなりました。m(_ _)m
葉摘み でん助さま
お茶をある程度なさっている方だったら、誰しもなんとなく心にあることかと思いました。
ねぇ~。。。
言われて改めて確かめられることの多さよ!
ようこさま
初コメ、ありがとうございます。
型はとても大切だと思います。
それから進める人は少ないかも。
型の中なら安住ですものね。
小さな中の安住より、大きな中の迷走のほうがわたしは好きです。
お互い自分の中のお茶を探していきましょうね。
葉摘み ちょきたらさま
いつもありがとう。
わたしは分相応で良いと思います。
でも自分の分相応ってどれくらいだと思いますか?
分相応という言葉に甘えて、井の中の蛙の大将になってもしょうがない。
視線を少し上に持っている、ということが大事だと思います。
昨日の分相応と今日とでは違うようでありたい。
それが「一分」じゃないでしょうか。
hiromi
キチンと読んでキチンとしたコメ。うれしいです。
節先生の言葉、知りませんでした。
何かをなしえた方の言葉は心にズシンときますね。
でん助 はっとさせてくださるお話の御裾分けに、心から感謝申し上げます。ボァーっと心にあるおもいに、「!」

ようこ 初めてコメントいたします。いつも興味深いお話、ありがとうございます。
茶道はまだまだ初心者です。茶道を始めたことが、なぜ日本文化は型から入るのだろう・・・?と考えるきっかけとなりました。「目的をもって・・・」の部分、はっとさせられました。型が目的化してはいけないんですね。いま、何をしようとしているのか、その心を忘れずに。考えさせられました。ありがとうございます。
ちょきたら 「茶は分相応でやってはいけない」に、はっ!
としました。「分相応でいい」と思っていたところが
あったからです。でもそれでは成長しないということ
なのでしょうか。
hiromi 今は亡き長沢節先生の言葉を思い出しました。
セツ先生は「品」をすごく大切にしていらっしゃいました。
「うまく見せよう」として作為的なのは下品
こころから感動して美しいと思って表現した絵は上品
先生ご自身、型破りな人生を過ごされましたが、たたずまいはいつも気品があったなあ。。
いろんなコトに通じるお話ですね~
お返事遅くなりました。m(_ _)m
葉摘み でん助さま
お茶をある程度なさっている方だったら、誰しもなんとなく心にあることかと思いました。
ねぇ~。。。
言われて改めて確かめられることの多さよ!
ようこさま
初コメ、ありがとうございます。
型はとても大切だと思います。
それから進める人は少ないかも。
型の中なら安住ですものね。
小さな中の安住より、大きな中の迷走のほうがわたしは好きです。
お互い自分の中のお茶を探していきましょうね。
葉摘み ちょきたらさま
いつもありがとう。
わたしは分相応で良いと思います。
でも自分の分相応ってどれくらいだと思いますか?
分相応という言葉に甘えて、井の中の蛙の大将になってもしょうがない。
視線を少し上に持っている、ということが大事だと思います。
昨日の分相応と今日とでは違うようでありたい。
それが「一分」じゃないでしょうか。
hiromi
キチンと読んでキチンとしたコメ。うれしいです。
節先生の言葉、知りませんでした。
何かをなしえた方の言葉は心にズシンときますね。
この記事へのコメント
はっとさせてくださるお話の御裾分けに、心から感謝申し上げます。ボァーっと心にあるおもいに、「!」

初めてコメントいたします。いつも興味深いお話、ありがとうございます。
茶道はまだまだ初心者です。茶道を始めたことが、なぜ日本文化は型から入るのだろう・・・?と考えるきっかけとなりました。「目的をもって・・・」の部分、はっとさせられました。型が目的化してはいけないんですね。いま、何をしようとしているのか、その心を忘れずに。考えさせられました。ありがとうございます。
茶道はまだまだ初心者です。茶道を始めたことが、なぜ日本文化は型から入るのだろう・・・?と考えるきっかけとなりました。「目的をもって・・・」の部分、はっとさせられました。型が目的化してはいけないんですね。いま、何をしようとしているのか、その心を忘れずに。考えさせられました。ありがとうございます。
「茶は分相応でやってはいけない」に、はっ!
としました。「分相応でいい」と思っていたところが
あったからです。でもそれでは成長しないということ
なのでしょうか。
としました。「分相応でいい」と思っていたところが
あったからです。でもそれでは成長しないということ
なのでしょうか。
2009/03/05(Thu) 00:22 | URL | ちょきたら #-[ 編集]
今は亡き長沢節先生の言葉を思い出しました。
セツ先生は「品」をすごく大切にしていらっしゃいました。
「うまく見せよう」として作為的なのは下品
こころから感動して美しいと思って表現した絵は上品
先生ご自身、型破りな人生を過ごされましたが、たたずまいはいつも気品があったなあ。。
いろんなコトに通じるお話ですね~
セツ先生は「品」をすごく大切にしていらっしゃいました。
「うまく見せよう」として作為的なのは下品
こころから感動して美しいと思って表現した絵は上品
先生ご自身、型破りな人生を過ごされましたが、たたずまいはいつも気品があったなあ。。
いろんなコトに通じるお話ですね~
2009/03/05(Thu) 16:32 | URL | hiromi #-[ 編集]
でん助さま
お茶をある程度なさっている方だったら、誰しもなんとなく心にあることかと思いました。
ねぇ~。。。
言われて改めて確かめられることの多さよ!
ようこさま
初コメ、ありがとうございます。
型はとても大切だと思います。
それから進める人は少ないかも。
型の中なら安住ですものね。
小さな中の安住より、大きな中の迷走のほうがわたしは好きです。
お互い自分の中のお茶を探していきましょうね。
お茶をある程度なさっている方だったら、誰しもなんとなく心にあることかと思いました。
ねぇ~。。。
言われて改めて確かめられることの多さよ!
ようこさま
初コメ、ありがとうございます。
型はとても大切だと思います。
それから進める人は少ないかも。
型の中なら安住ですものね。
小さな中の安住より、大きな中の迷走のほうがわたしは好きです。
お互い自分の中のお茶を探していきましょうね。
2009/03/05(Thu) 18:37 | URL | 葉摘み #-[ 編集]
ちょきたらさま
いつもありがとう。
わたしは分相応で良いと思います。
でも自分の分相応ってどれくらいだと思いますか?
分相応という言葉に甘えて、井の中の蛙の大将になってもしょうがない。
視線を少し上に持っている、ということが大事だと思います。
昨日の分相応と今日とでは違うようでありたい。
それが「一分」じゃないでしょうか。
hiromi
キチンと読んでキチンとしたコメ。うれしいです。
節先生の言葉、知りませんでした。
何かをなしえた方の言葉は心にズシンときますね。
いつもありがとう。
わたしは分相応で良いと思います。
でも自分の分相応ってどれくらいだと思いますか?
分相応という言葉に甘えて、井の中の蛙の大将になってもしょうがない。
視線を少し上に持っている、ということが大事だと思います。
昨日の分相応と今日とでは違うようでありたい。
それが「一分」じゃないでしょうか。
hiromi
キチンと読んでキチンとしたコメ。うれしいです。
節先生の言葉、知りませんでした。
何かをなしえた方の言葉は心にズシンときますね。
2009/03/05(Thu) 18:47 | URL | 葉摘み #-[ 編集]
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