とっちらかして覚えていることが、ある日繋がっていく瞬間がある。
知っていくほどに、なにも知らないという事を思い知らされる。
今日はそんなお話。
言葉には時代背景があります。
生まれた言葉には意味が潜んでいます。
千年の時を経ても変わらない茶のフレーズは、
歴史風景がわからないと理解できないと痛感します。
茶湯(さとう)、茶の湯、茶道という言葉。
茶の湯についての本を読んでいると、
あるときまで「茶湯」と書いてあったのが
いつの間にか「茶の湯」となることを不思議に思っていました。
「茶湯」と「茶の湯」はいったいどう違うのか。
茶を飲むという行為は、千三百年ほど前に中国に留学した僧が、
僧院での喫茶の習慣を禅と共に持ち帰ります。
でもこのころは煎じ薬のような煮出し茶で薬扱い。
約九百年前
茶祖といわれる栄西禅師が、禅修行に行き持ち帰ったのが
当時の中国で最先端の、粉末の茶を湯で溶く喫茶法。
ここで抹茶が伝わります。
まだ「薬湯」の中の「茶湯」。でも茶と禅の結び付きは深くなります。
この時代は源実朝の鎌倉時代。
上流武士の間での茶を飲む行為を「喫茶」
僧院では「茶礼」 (四ッ頭茶会として今に伝わっています。)
抹茶を湯で溶いて飲むことを「茶湯」
「茶湯(さとう)」という言葉が「茶の湯」に変わっていったのは
約六百年前
村田珠光の出現によります。
珠光は一休禅師(一休さんのモデル)に禅を学び、
足利義政(八代将軍)に仕える能阿弥から茶を学びます。
義政は銀閣寺に四畳半の書院付きの間を作り、台子の茶を行います。
一般人の珠光は町居の中に簡素な四畳半茶室を建て、
「わび茶」の基礎を作っていきます。
その頃から「茶の湯」という言葉が生まれていきます。
「茶湯」は特権階級の茶。「茶の湯」は市中に降りてきた茶。
店主はそう理解しました。
長くなったので「茶道」という言葉については、また明日。
応援ありがとうございます。
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千年の時を経ても変わらない茶のフレーズは、
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茶湯(さとう)、茶の湯、茶道という言葉。
茶の湯についての本を読んでいると、
あるときまで「茶湯」と書いてあったのが
いつの間にか「茶の湯」となることを不思議に思っていました。
「茶湯」と「茶の湯」はいったいどう違うのか。
茶を飲むという行為は、千三百年ほど前に中国に留学した僧が、
僧院での喫茶の習慣を禅と共に持ち帰ります。
でもこのころは煎じ薬のような煮出し茶で薬扱い。
約九百年前
茶祖といわれる栄西禅師が、禅修行に行き持ち帰ったのが
当時の中国で最先端の、粉末の茶を湯で溶く喫茶法。
ここで抹茶が伝わります。
まだ「薬湯」の中の「茶湯」。でも茶と禅の結び付きは深くなります。
この時代は源実朝の鎌倉時代。
上流武士の間での茶を飲む行為を「喫茶」
僧院では「茶礼」 (四ッ頭茶会として今に伝わっています。)
抹茶を湯で溶いて飲むことを「茶湯」
「茶湯(さとう)」という言葉が「茶の湯」に変わっていったのは
約六百年前
村田珠光の出現によります。
珠光は一休禅師(一休さんのモデル)に禅を学び、
足利義政(八代将軍)に仕える能阿弥から茶を学びます。
義政は銀閣寺に四畳半の書院付きの間を作り、台子の茶を行います。
一般人の珠光は町居の中に簡素な四畳半茶室を建て、
「わび茶」の基礎を作っていきます。
その頃から「茶の湯」という言葉が生まれていきます。
「茶湯」は特権階級の茶。「茶の湯」は市中に降りてきた茶。
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