猛暑が戻ってまいりました。
寝苦しい夜ですね。
どうぞお付き合い下さいませ。


時期も時期ですので、咲き始めた朝顔のお話をば。

「茶話指月集」という古い茶湯の本があります。
その中に載っているみなさんご存知の有名なお話から。

 「朝顔の茶会」
宗易 牽牛花みことにさきたるよし太閤へ申し上る人あり
さらは御覧せんとて 朝の茶湯の御渡ありしに 朝かほ庭に一枝もなし
尤無興におほしめす 
扨小座敷に御入りあれハ 色あさやかなる一輪床にいけたり
太閤をはしめ召しつれられし人々目さむる心ちし給ひ 
はなハた御褒美にあつかる
是を世に 利休あさかほの茶湯と申傳ふ
  附
かやうに咲たる花を皆はらひ捨 一輪床にいけて 
人をおもしろからするハ 休か本意にあらす いかゝといふ説あれとも 
朝かほを興にて茶湯つかうまつれと仰らるゝうへハ 
一輪床にいけたるか休か物すきにすくれたる所也
その後遠州公の比より 露地に花をうへられす 
是も茶湯の花を一段賞玩の義なり


現代の口語体ではご存知だと思うので、原文でのご紹介。

茶話指月集というのは、
宗旦がおじいさんに当たる利休の逸話を弟子の藤村庸軒に話し伝え、
庸軒が記述したものを久須見疎安がまとめたものです。
利休没後110年に出版されています。

南方録と同様、だいぶ経ってからの内容なので、その信憑性はわかりません。
宗旦が話し伝えたいうことなのですが、
1588年10歳のときに大徳寺に入り、
1591年13歳のとき利休がなくなったことを考え合わせると、
その時期秀吉について忙しく動いていた利休との関わりは
薄かったのではと考えられます。
あのころは早熟だったと考えても、まだ少年だった宗旦です。
まわりから伝え聞いた話なのでは・・とも考えられます。

内容がどこまで真実かは、あまり問題ではないと思います。
その中に書かれたものは、私たちに「茶の湯」というものを考えさせ
対峙する心を後世に伝えるものに間違いありません。
つまり読み取らなくてはならないのです。

茶席の花を考えるときにも、
この朝顔の話はたくさんのことを教えてくれます。


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【2012/07/25 21:47】 | 茶道のこと
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